輪景備忘録

2021年02月

家の中がいよいよ狭くなってきたので、捨てられるものは処分したい。
しかし子どもがらみのものは捨てることを禁じられている。
よって、他に何かないかとクローゼットの中を探っていたら、あった。

夫が一人暮らしのころに買ったという、テレビだ。
形状から最初はパソコンのモニターかと思ったが、箱にはテレビと書いてある。
ずいぶん昔の、地上波デジタル放送が始まる前のものなので、完全に無用の長物だ。

しかし、テレビはどうやって処分するものなのか。
夫も処分方法がわからず、数々の転居を経てもなお物入の奥に押し込めていたらしい。

いろいろ調べた結果、やはり家電量販店に持って行くのが確実であると判断した。
実際に買った店舗でなくても、料金を払えば処分してもらえるそうだ。

メーカーごとに処分料金が違うというので、メーカーを確かめるべく箱を見た。
箱と、本体にも「MW」のロゴがあるが、それ以外の情報がほとんどない。
箱には他に、電気街のお店のシールが貼ってあった。
これを手掛かりに夫に詳細を聞くと、輸入品らしいものを格安で買ったという。
台湾だと聞いた気がするが、記憶が曖昧だ、との言。

量販店ならわかるだろう、と調べるのはそこまでにして持って行った。
カウンターで処分したい旨を伝えると、担当の人がメーカーを確認する。
本体や箱をひっくり返した挙句、「これ何、どこの?」という顔で固まった。
次々に他の店員さんがやってきて覗き込むが、皆一様に疑問符を浮かべた表情。

ついに「これはどちらのメーカーのものですか」と聞かれてしまった。

「台湾製らしいですが、定かではないです」と答えたら、さらにしばらく
調べた後、やはり「メーカー不明」の結論に至った。

「メーカー不明」の場合、処分料金は上がる。5,300円也。

「安物買いの銭失い」という言葉が浮かんで消えていった。

MWというメーカーだかブランドだか、その後ネットで検索しても全くヒットしない。
素性はいまだ闇の中だ。


朝、保育園に着いて、気が付いた。
水筒を忘れた。

子どもが、普段なら肩から下げているはずの水筒がない。
子どもが
出がけに持ってくるのを忘れたのか、と思ったが、
よく考えたら水筒にお茶を入れた記憶がない。
要は、私が徹頭徹尾忘れたのだ。

こんなとき、園に申し出ればコップにお茶を入れて子どもに
飲ませてくれる。
それは知っているが、我が子はこういう状況を苦痛に思うタイプだ。
私自身も似たようなタイプだから気持ちはわかる。

子どもは文句こそ言わないが、悲しい目をしてこちらを見ている。
それがかえって申し訳ない。
さっきは一瞬、子どもが水筒を忘れたのかと疑ったので罪悪感もひとしおだ。

幸い、急いで帰って取ってくれば、仕事にはなんとか間に合う。
そこで、一旦子どもを預けて帰り、水筒を持ってくることにした。

大急ぎで家に戻り、水筒を準備し、普段なら苦手として敬遠している自転車で
小雨にうたれつつ、再度保育園にかけつけた。

先生に手渡すと、「頑張りましたね」と言われて少し驚いた。
自分が忘れたものを持ってきただけなので、自業自得以外のなにものでもないのに
そうか、それでも頑張ったうちに入るのか、と緊張が解けた気がした。

何であれ、頑張ったと自分を労ってやってもいいのかもしれない。
水筒を忘れるのは、もう繰り返したくはないけれど。

先生。先生が今日保育したのは、子どもではなく私です。

絹さやの筋を取りながら、豆つながりでふと思い出した。
小学校低学年くらいのころに読んだ、「ほんとうのおひめさま」というお話だ。

アンデルセン童話集だったと思うのだが、子どもむけに易しく書かれていたので
どこまで原典に準拠しているかはわからない。
それ以前に、私の記憶も非常にあやふやだ。

曖昧な記憶では、こんな話だった。

***
昔々、あるところに王子様がいました。
王子様は「ほんとうのおひめさま」と結婚したいと思っていました。

ある日、その王子様のお城に、2人の自称おひめさまが訪れました。
片方は豪華に着飾って従者を連れ、もう片方は雨に濡れそぼち単独で。

王子様は、2人をお城に泊め、それぞれにきれいな寝室をあてがいました。
ベッドには何枚もの布団を重ね、その下に豆を一粒入れました。

翌日、おひめさまたちに「よく眠れましたか」と尋ねると、
前者のおひめさまは「はい、それはもう」と答えました。
一方後者のおひめさまは、「布団の下に何かごろごろするものがあって
眠れませんでした」と答えました。

王子様は後者のおひめさまと結婚しました。
***

子ども時代の私は、この流れでどちらがほんとうのおひめさまかと問われれば
そりゃあ間違いなく後者であると答えただろう。
目に見える着飾った姿ではなく、見えない小さな本質を蔑ろにしないのが
ほんとうのおひめさまということなんだろうと幼心にも思わせるストーリー構成だ。

しかし今になって考えてみると、王子様と結婚したこのおひめさま、
ちょっと繊細が過ぎやしないか。
それに、布団の下に入った豆は、見抜かねばならない本質といえるのか。
「ほんとうのおひめさま」の定義が揺らぐ。

王子様、その後おひめさまとうまくやっていけたのだろうか、と少し心配になる。
このおひめさま、どこの誰ともわからない自分を丁寧にもてなしてくれた相手に対し
布団の文句をつけるだけの自我と度胸がある。一筋縄ではいかないタイプだ。

そう思うと、女王様には向いているのかもしれない。
王子様はその女王様気質に惹かれたということか。

ならばやはり、「ほんとうのおひめさま」か。

確定申告をすることになった。
なにぶんこれが初めての確定申告、何をどうすればいいのか全くの無知だ。

電子申告にはマイナンバーカードが必要だというのは知っていたので、
これだけは取得していた。
スマホがあればそれでできるというので安心していたら、
対応機種が限られていて、自分のものではできないことが判明した。
夫の機種なら比較的新しいから大丈夫だろうと踏んでいたら、こちらも非対応。
カードリーダーを購入し、パソコンを使用することにした。

ここまでで既に疲れていた。

しかしやらねばならない、と e-Tax のサイトを開く。
「確定申告書等の作成はこちら」→「e-Taxで提出、マイナンバーカード方式」を選択。
すると、事前準備としてパソコン環境のセットアップを長々行うことになった。

なんとかクリアして利用規約に同意して次に進む。
カードをリーダーにセットして読み取らせ、申告書の作成を始めた。

必要事項を記入していったら、中盤を過ぎたあたりで「利用者識別番号」を求められた。

マイナンバーカード作成の際に作った番号のうちのどれかか、と思いきや、これが違う。
なんのことかがわからない。

「利用者識別番号」で検索したら、

「利用者識別番号とは、e-Taxをご利用いただくために必要な半角16桁の番号です」

と記載があったが、肝心の取得方法が記載されていない。

ここから、実際に取得するまでに優に1時間かかった。

1時間後、息も絶え絶えになりつつ判明したのが、e-Taxの個人用ページで最初に押した
「確定申告書等の作成はこちら」のボタンの下方、「その他の手続」の欄にある
「e-Taxを始めるための準備をする」をクリックすると取得方法がわかるという事実。

どうして、どうして、こんなトリッキーな書き方をするのだ。

上から作業手順に沿って書いてくれればいいものを、先にページ下部を読まないと
ページ上部の手順が踏めないというのはあんまりではないですか。
しかも
「e-Taxを始めるための準備をする」と言われただけでは
既に完了したパソコン環境の事前セットアップのことだと思うじゃないですか。

その後も苦心惨憺しつつ、なんとか申請を終わらせた。
全部で3時間近くかかったろうか。
うち、実際の入力時間はたかが知れている。手順を調べるのにかけた時間がほとんどだ。

いくら何でも不親切すぎるだろうという思いが渦巻き抑えきれない。
それともやはり、普通の人はページを隅々まで読み込んでから作業するのだろうか。
とりあえず始めてみようとする個人的な悪癖の問題なのだろうか。

なんにせよ、もう少し初心者に優しいサイトを作ってはいただけないものですか、と
叫びつつ、これをすんなり終わらせられる人に対する心からの尊敬が溢れ出た。

祝日の朝。
夫が、「仕事で必要な資格の勉強をする、今から3時間」と宣言した。

ほう、と思い、それなら邪魔はすまいと子どもの世話と家事を一手に担った。
子どもにご飯を食べさせ、着替えさせ、洗い物をし、掃除をする。
洗濯ものを取り込んでたたみ、夫のいる部屋に持っていった。

そっとドアを開けると、非常に綺麗な姿勢で眠る夫の姿があった。
ツタンカーメンのような体勢とでもいおうか。
こちらに気づき、「寝てた」と一言つぶやいた。

それは見ればわかる。

「そのようですね」と答えて、用事を済ませ、ドアを閉めた。

うすうす予想はしていたが、やはりか、と思った。
本人としても、当初から眠るつもりはなかったのだろうけれど。
そもそも、布団のすぐ横にパソコンを置いて勉強しようとした時点で負けは確定だ。

その後、惰眠を貪った夫がそっと起きてきた。
「疲れた」とのたまったので、「棒のように一直線で寝てましたしね」と答えた。

こういうときの、沸々と湧き上がる憤怒、これはどうするのがいいのか正解を知らない。
とりあえず自分の中に寝かせておくことにした。寝かせて冷却を試みることにする。
いつか熟成されて噴出するかもしれないが、それはツタンカーメンの呪いだ。

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